映画「花束みたいな恋をした」を数年ぶりに観て感じた事

4.5
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久しぶりに映画「花束みたいな恋をした」を観ました。

最初に観たのは公開してすぐの映画館でした。公開日が2021年1月29日だったのでもう3年半前・・・?

なんて恐ろしい時の流れ・・・。

 

当時は酷く恐ろしく感じたりもした映画でしたが今になってみるともう悪いのって社会なんじゃないだろうかとすら思っています。じゃんけんでパーを出す大人に私もなってしまったんでしょうか。

ずっと一緒にいたいという同じ方向を向いていたはずの二人なのに、大事にしたいものが違ってきてしまった二人のすれ違いには考えさせられるものがありました。

この映画を観てからというもの、菅田将暉さんと有村架純さんは付き合っていたと今も信じています。それほどにリアルだった。ゼルダの伝説が難しすぎたのが悪いんじゃない・・・?違う・・・?違うか・・・・。

 

ネタバレなしの感想

ネタバレなしの感想って難しいな。

まだ映画を観ていない人に言いたいのは、とりあえず観てくれ。その一言になってしまうのですが私はそんなこと言われてもあんまり気にならない性分なのでもう少し詳細に説明します。

まず有村架純さんと菅田将暉さんが良すぎる。リアルすぎてキャラの名前どうでも良いというかもう二人の人生だったのでは・・・・?とか思ってしまうほどです。(職業俳優なのを忘れてしまうレベル)

サブカルネタは私も正直中途半端にわかる程度なので、全然知らない作品名なども出てきましたが十分に楽しめました!

出てくる作品が時の流れを彷彿とさせるような役割を果たしてはいるので世代が違う方はもしかすると感慨深くはならないかもですがまぁ〜、あんまり重要じゃないかなぁ?

50代とかになると流石に楽しくないんだろうか、と思ったりもしましたが物語の本質は二人の価値観であったりと、あくまでサブカル要素は物語のスパイスかと思いますので問題ないのではと!映画や小説が好きな方は必ず楽しめる作品だと思います。だって主人公の二人が映画も小説も大好きなんだもん!!!(なんて浅い)

以降はネタバレを含みながら思いを書き連ねていきますので、まだ映画をご覧になっていない方はまずは映画を観てから戻ってきてください!

観てね!!!アマプラで借りてこい!!!今すぐにだ!!!

 

ネタバレありの感想

 

これさぁ、語ってたら夜が明けるよねぇ。。。

と思いますが書いていきます。忘れたくない、この気持ち・・・。

個人的にはこの作品を観てどう思ったのか、皆様のご意見伺いたいのでコメントなんかいただけると嬉しい限りです。

 

劇中に出てくる「こちらあみ子」のピクニックを読んで

一番最初にこの映画を観てから、麦と絹の会話に度々出てくる今村夏子さんの短編集「こちら、あみ子」をすぐに買ってピクニックを読みました。今回はピクニックを読んだ後に映画を観たのですんなり話の流れがわかったのは面白かったですが後から読むワクワクも捨て難いものでした。

ピクニックについては個人的にはおすすめしません。(理由は後述します)

というのも面白くないから、といった理由ではなくリアルでグロいからです。実際に起こり得ているであろうグロさが正直しんどいなと思いました。一言映画と絡めて感想を言うのであれば、確かにあれを読んで何も思わない人間は軽蔑するに値するな・・・と同時に一定数存在するであろう絶望も感じさせるものでした。

正確に言うと何も気がつかない人間はある種そのまま生きてほしいなと思いますが、気がついた上で何も感じない人間は好きになれそうにないといったところでしょうか。

そんな作品と知ってからは、麦が「もう俺も何も感じないのかもしれない」といった旨の発言はより刺さるものがあります。

作品に対する価値観はこんなに一致していた二人がすれ違っていってしまうのかと考えると辛いながらも繊細な描写と言いますか・・・いやぁ、リアルすぎでは・・・。

ちなみに「こちらあみ子」は短編集で他の作品もなかなかにヘビーでリアルで面白い作品でした。漁港の肉子ちゃんとか好きな人は好きだと思います。(ハッピーになれないから素直に)おすすめしたくないけど読んでほしい。そんな作品です。

 

イヤホン大事に使ってくれよ!!

イヤホンの描写も多かったですね、のちの二人の人生にも大きく?関わるエピソードのように思いました。

ファミレスで語られた時はめちゃくちゃ可哀想だなと思いましたが結局二人の中で笑い話になっていたなら良し!!!

にしてもクリスマスプレゼントで交換したイヤホンをさぁ、麦が遮断するために使うのしんどすぎませんか??いやまぁ、そう。仕方ないといえばそうなんだけどもさぁ。。。。

別れた後に麦が使っているのもなんというか、当たり前になってしまっただけで大事にしているとは少し違うのかなぁと切なくなりました。それに気がつく絹ちゃんは大事にしている気がする!!気のせいですか!?(有村架純さんが可愛すぎて何かしらの忖度が入っている可能性しかない)

ただこの別れた後のシーンで二人が口にする「恋愛は二人で二つ」と言う言葉が気になりました。そうかなぁ、そうなのかぁ・・・・。

個人的な意見ですが、だからこそ二人はすれ違い別れることになった。「家族」にはなれなかったのかなぁと感じます。恋愛は二人で二つだけど、一つもしくはその二つを≒にするお互いの努力が必要なんじゃないかなと。正解なんてないけどさぁ!新しい恋人たちとその感じでうまくいくのかい!?とか思ったり思わなかったり・・・。

そう、とにかく切なくなるばっかりなんだよ。この映画はさぁ。。。。

もはやゼルダの伝説が悪い

麦の仕事が忙しくて、二人が楽しみにして買ったSwitchとゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド。

あれがゾーラの里で止まってるのに関しては忙しすぎるのかゼルダが難しすぎるのか絶対に議論させてください。ちなみに私はゼルダの伝説はゾーラの里にたどり着く前に数年寝かせました。

今は、なんだっけなぁ。神獣半分倒したところだっけな。。もう数年触ってません。

わかるよ。社会人にそんな時間はないしブレワイ難しすぎるって。なんで武器あんなに壊れるんですか???そんなリアリティ求めていない・・・。

ちなみに私がブレワイ挫けた理由は、無人島でリンクの身包みを剥がされ、ボコボコにされたからです。なんでそこまでの仕打ちを受けなきゃいけないんだ・・・!!

もう麦ができなかったのは忙しいだけじゃないよ、あんな過酷な冒険と社会人の両立なんて無理だよ・・・。そう、思ってしまいますね。

ゲーム自体はかなり面白いのでアクションが得意な方にはおすすめです。良い。

実際ゼルダの伝説は何も悪くないのはわかっています、ええ。

それでも言わせてください、この二人が別れることになったのがそれほどにやるせなくて辛い。

 

漫画「宝石の国」は良いが・・・

宝石の国、大好きです。でもこれだけは言わせてください。(言いたいこと多いな)

麦、わかる。宝石の国の内容覚えてないのめっちゃわかるぞ・・・何も悪くない・・・・。

作品自体がわかりにくいとかではないんですが、個人的に結構精神力を使うというか、想像力を働かせる必要がある作品だと思っていて。

結構脳のキャパだったり、余裕が必要な作品ではあると思っています。

その分奥行きがあると言いますか、世界観は奥深い作品なので個人的にはかなり大好きな作品です。

ここまで麦に共感をいくつか語ってきましたが、あれ私がブラックに勤めてたせいなのでは??と思ってきました。幸いなのはブラックに勤めている時、私には絹のような存在も、麦のような存在もいなかったと言うことですね。。。

※ちなみに私はパズドラにはハマらなかった。あれはあれで難しい。

結局なんで別れたのか

まぁそんなもんわかってたら苦労しないんですよ。

と筆を放り投げたくなるくらいにはリアル。あそこまで幸せで理想的とも言える二人を見せられてしまったのに、わかりませんよ。もう会社と言うか社会が悪いよ。

なんて思いますが、実際にはいくつかの要因があると思います。

1:麦が現実を見なければならなくなったこと

2:絹が現実を見たくなかった(ロマンチスト)だったこと

3:タイミング

なんじゃないかなと。ざっくり言うと。。

1:麦が現実を見なければならなくなったこと

これは麦がイラストレーターで成功できなかったことに加えて、先輩や親など周りの人の意見から、「このままでは絹ちゃんに迷惑をかける、幸せな暮らしができない。絹ちゃんを不幸にしてしまう。」と現実を見なくてはイラストレーターになる夢よりも大切なものを失うと感じたことが理由ではないかと思います。ただこの時点でイラストレーターになる夢よりも大事で守りたかったのが麦ちゃんとの時間かはとても刹那的で反射的な判断だったように思います。もしかすると先輩の話を聞いて「彼女を売るようなイカれ具合はないな・・・」と諦めてしまった部分もあるのかもしれないですね。この時、麦はたくさんの物を一人で抱え込んでしまっていたように思います。

ただここから、自分が働いて絹ちゃんを養っていく。この生活を守っていくと決めた麦はかっこいいと思いました。わかるよ。男として守りたいんだよな・・・!!

2:絹が現実を見たくなかった(ロマンチスト)だったこと

ただここで問題があります。絹ちゃんは麦の気持ちについていけません。

ビジネス書を読んでいる麦に驚き、落ち込んでいるかのようなシーンは印象的でした。まぁ気持ちはわからないでもないですがここに対して麦が自分との生活のために「夢も趣味も投げ打って頑張ってくれている」と思えないのはなんだかロマンチストというか、現実を見たくなかったのかなぁ。なんて思います。思ってたプロポーズと違ったシーンもまぁ、あれはね。そう。ダメだけどさお互いね。そこら辺は分かりきっているので割愛しますが、やっぱり絹ちゃんは生活のためではなく愛しているからこそ結婚!プロポーズ!みたいなものを強く望んでいたんだろうなと思います。いや悪くないよ。そう、そうなんだけどね!!!!うまくいえない。。。!と言うかもう二人とももっと色々話し合うべきだったんだよ!!!!

3:タイミング

あとはもうタイミングです。色々麦に辛いこと起きすぎだって。会社決まるのも遅いしさぁ、それは仕方ないかもしれないけど・・・。先輩とか、トラック捨てちゃうマンとかさぁ。。そりゃ余裕ないって。というか話してる?お互い気にしてる??趣味以外の相手の気持ちわかってる???

それで麦がいけない飲み会で衝撃カミングアウトするのやめな???あとなんでその話聞いてからすぐ麦に言わなかったの??絹ちゃん???

この辺をタイミングと括ってしまうのは乱暴な気がしますがそう思いたいんです。思わせてください。

 

ラストシーン

ここで二人が思う感情も対照的だったような気がしますね。

絹ちゃんは「もし〜だったら」と夢見物語と言いますか、居ないはずの二人や麦に思いを馳せていますが、麦は「〜の時どう思っただろうか」と現実世界の絹ちゃんを想像しています。

このシーン以外でも「う〜ん、こう言うところが原因なのか、それともこれがそもそも男女の違いなのか・・・」と思わせる映画だったのも話題になった一つの要因なのでは?と思います。実際それが面白い。

二人に相手がいることは救いであったり、二人の恋の明確な終わりでもあって諦めのつくラストだなと思いました。最後のストリートビューのシーンは確かにそこに幸せな時間があったことの証明に感じて私は見ていて嬉しい気持ちで終われました。

まぁそれでも全然復縁したって話があるなら喜んでみますけどね!!

まとめ

まとめると、あるあるが詰まり過ぎて余りにもリアル。菅田将暉さんと有村架純さんの恋愛を垣間見れたのかと思うほどの映画です。

現実の世界とリンクしている部分が多過ぎて、同じ世界に生きている感どころか!!

あ〜〜ゼルダか〜そういえばこの頃麦はブラック企業入ってたな〜!なんて思ってしまうレベルの没入感。なんかもう友達より近くで私たちはこの二人の終わりと始まりを全て見たといっても過言ではないでしょう。

この映画を観て勘違いした「俺でよければ話聞くよマン」が絹ちゃんに言い寄らないためだけに新しい恋人を見せられた可能性もあるなと思っています。(言い過ぎ)

一つだけ、本当に一つだけ気になる点があるとするなら、菅田将暉さんと有村架純さんがお似合いすぎて最後の新しい恋人がとてつもない妥協に見えてしまうことです。タイプ違うのはわざとかもしれないけど!それならいっそ 宇宙海賊ゴー☆ジャスさんとかと付き合ってて欲しかった。

(大好きな芸人さんです、映画出て欲しいだけでいってますので悪しからず)

(いつか大好きな理由記事にしたい)

 

麦と同じく社会に忙殺されている為、いまだ原作やパンフレットすら読み込めていないのでそのうち読んでみようと思います。

 

考察にも満たない爆裂感情大爆発の殴り書きでしたが最後までお読みいただきありがとうございます。皆様の素直でシンプルな感情が溢れるような感想も伺いたいのでぜひ、「花束みたいな恋をした」ご覧になった方はコメントで映画の感想を教えてください!!(聡明な考察も大歓迎でございます)

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