心が疲れていると本が読めなくなるらしい

日記
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講義でとある先生が「人間は心が疲れていると本がみんな読めなくなる」と話していたことがずっと忘れられない。(もちろん本が苦手な人は違うらしい笑)

要するに好きなことに集中できなくなるという話だった。講義の内容にはほとんど関係ない雑談のような、先生の気づきのようなちょっとした小話だったように思う。

けれど、本が好きで就職活動を目前にした私にはひどく印象的な話だった。学生時代もバイトを掛け持ちしどう考えてもギリギリのスケジュールをこなしていたが、当時の私は「まだ本を読めている」と安心もした。

社会人になって、本を読む時間が少しずつ減っていく中でも、時折この言葉を思い出して確かめるように本を読んでは安心した。けれどいつしか好きだったファンタジー小説や、連載が読めなくなった。

気がつけば参考書や技術書、自己啓発本やエッセイなど読みやすいものへと逃げるようにジャンルを変えていた。漫画やアニメなど楽な方に逃げていたようにも思う。

もちろんどれも自分で選び好きなものを読んで、観ていたつもりだった。でも心のどこかで「本当はもっと違うことがしたい」「あの本が読みたい」とわかっていた。

まとまった時間が少なくなってしまったこともあるだろうし、心の問題だけではないと言い訳のように自分に言い聞かせていたけれど、久しぶりに本を読んで好きな文章や物語に出会うとやっぱり本が好きだと思う。

本屋さんに本当はもっと通いたい。平積みされた本を眺めて、好きな出版社のコーナーの前で背表紙のタイトルから想いを馳せて運命の一冊に出会えるかもしれない小さな冒険を私はもっと繰り返していたい。

学生の頃は、10分足らずの電車の中でも本を開き貪るように本を読んでいた。時に声を抑えて泣き、乗り過ごした日もあった。今は、もっと長い電車の時間を無意味なスクロールで仕事の憂鬱を誤魔化すように文字通り時間を潰している。

読みたいはずの本を抱えたまま。

この事実に耐えられなくなる前に思い出したように本を読んで、好きな映画を観る。それでも毎日の小さな憂鬱やストレスの方が私の心の隙間を埋める速度が速いのはどうしてだろう。

図書館に通った夏休み、自転車の籠にパンパンに積み上げた単行本を傷つけないように帰る夕暮れ。楽しいことは他にもたくさんあったけれど、あの静かで騒がしい心の湧き立ちも確かに私の青春だった。

当時のように夜中まで本を読み耽ることは中々できなくなってしまったけれど、忘れないようにしたい。

きっとこんなふうに自分の気持ちを表現することも大事だと思う、放課後に友人と話したような取り止めのない会話や、5分休みに移動を忘れてしまうほどのどうしようもなく楽しくて次の日には覚えていないような会話の数々もあの頃の元気の理由だったのかもしれない。

仕事が悪いだとか、今の社会がどうだと言いたいわけではなくて、ただここに今の気持ちを記して。

今後の私の支えになるような、小さな決意と私と似たようなことをいつかどこかで感じているかもしれない仲間が読んだ時に1人じゃないと思ってもらえたら嬉しい。頑張るというのも少し変な話だけれど、一緒にもっとたくさんを楽しめるようになりたい。

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